アリスとテレスの矢

考え事が多いもので。

不条理耐性のなさ

誰にでも嫌なことってありますよね。種類は色々あれど、嫌なことが全くない人っていないと思います。僕だったら、休み明けの仕事とか、高圧的な人とか、出先での腹痛とか、水泳の授業とか…。挙げたらキリがありませんね。

ではそういった嫌なことは完全に無くなったら良いのだろうか?経験しなければ良いのだろうか?という話です。

たしかに、理想的に人生が進んで自分が嫌だと思うことを全く経験せずに生きて行ければ良いように安易には思ってしまいます。ただ、現実的にそうはいかないため、ある程度の嫌なことはこなしていかないといけません。とはいえ、その程度は結構コントロールできる範囲があります。例えば、水泳の授業なんかは熱があったりして体調が悪いと休めるので、どうしても嫌な時はなんとなく理由をつけて休んだりしてました。そうして"逃げる"ことで、その場では楽な気分になるわけですが、それを繰り返すことで逃げ癖が付いてしまうという弊害があります…。

嫌なことがあったら逃げればいい。ブラック企業という言葉が世の中に定着して以降、働く環境が合わないと思ったら辞めてしまうのが良いと言われるようになり、入社式で辞める新人がいたり転職サイトのCMが増えたりと「会社を辞める=逃げる」という否定的な認識が改められて、より肯定的な見方をされるようになってきたように思います。僕も働く環境が合わなければ辞めることについて異論はありませんし、ブラック企業なんてどんどん潰れてしまえと思っています。

仕事のように逃げられることならいいですが、逃げられないことが世の中にはたくさんある上にその多くは規模が非常に大きいのが問題です。新型コロナウィルスの全世界での蔓延、ロシアとウクライナの戦争、円安物価高などなど、自分では対処しようもなく直接的にも間接的にも逃げることのできない社会不安が広がっています。

逃げ癖がついている人は、嫌なことから逃げるという対処法で身を守ってきているわけですが、どうしても逃げられない事象に遭遇したときに心身をやられやすいのではないかと思います。実際自分も、直接的な原因はわかりませんが、新型コロナが流行りだしたあたりから自律神経系に不調をきたしていて、少なからずや無意識のうちに社会不安の影響を受けているのだと思っています。

また、重すぎるランドセルを背負って通学することがつらいというのを小学生自身が解決しようとキャリーバッグスタイルを発案して大人から叩かれるなんて話が最近ありましたが、この解決方法自体に悪いことはないと思いますし、小学生自身が解決しようと考えて行動する問題意識の高さには感心しました。加えて、旧態依然とした通学の荷物の在り方に一石を投じるという意味で良い機会になったとも思います。さらには母校の高校の話ですが、男女が同じプールで水泳の授業を受けるということに反論した生徒がいるということでYahooニュースに載っていました。そもそも水泳が大嫌いな僕からすれば授業そのものがなくなってしまえと思っていましたが、よもやあの全長50メートル水深2メートルのプールが全国ニュースになるとは思いませんでしたね。

これまで常識とされていたことや不都合な真実に対して反論したり解決を試みることはとても大切なことですし、今後の世の中を生きる若い世代が生きやすいように変えていかないといけない側面がたくさんあると思います。ただ、あらゆる非合理的なことや不条理を解決しないと耐えられないような状態に陥ってしまうことに一抹の不安を覚えます。つまり、解決できない物事に遭遇したときにどうしようもなくなってしまうということです。さらに二次弊害として、自分が嫌だと思ったことはなんでも解決することに他人への配慮が含まれなくなると最悪です。他の人は良いと思っているけれど、自分は嫌だと思っているから無くしてやろうという思考になってしまったが最後、独善的で自己中心的なクレーマーが世の中に蔓延ります。今だってたくさんいますよね?子供の声がうるさいからといって公園での遊びを禁止させるような人がどんどん増えてしまわないか。杞憂でしょうか?

パワハラ防止法で上司から怒られなくなった社会人は、顧客からの要求に耐えられるのでしょうか?自分が上司の立場になったときに役員の厳しい方針に従えるのでしょうか?僕は自分にも問いかけています。自分の経験を客観的に見た時に見えてきたものでもあるわけで。

オヤジにも殴られたことないのに、艦長に殴られたら拗ねますよ、そりゃ。