好きなことで生きていくには好き以上に努力が必要
僕は、小さい頃は鉄道の運転手になりたいと思っていた。
新幹線やSL、特急や貨物列車など、鉄道ならなんでも好きだった。
プラレールは線路が腐るほど遊んだし、いつかはNゲージが欲しいと夢見て鉄道博物館のジオラマの前に何時間も張り付いていた。
よく遊んだ公園の近くに新幹線の高架があったので、新幹線が通るたびに300系だーーっ!と叫んで大はしゃぎしていた。
夏休みや年末年始に祖母の家に行くのに新幹線に乗るのが楽しみだった。
爽健美茶とポッキーを両手に抱え、景色がビュンビュン通り過ぎていくのを見るのは至福の時だった。
ただ困ったことに、その新幹線ですら乗り物酔いをする体質だった。
それはもう、駅弁のはらこ飯が全部口から出てくるくらいに。
時は経ち、中学生くらいまでの将来の夢は建築家になることになっていた。
大きなビルとかタワーとか橋とか高速道路の高架橋とか駅といった、一目で視野に入らないくらいの巨大な建造物が昔から好きだった。
こんな大きいもの作れたら楽しいだろうなぁなんて夢見ていた。
プラモデルとか工作が好きだったことの延長だろう。
しかし、思春期とは残酷なもので、厨二病を発症してしまい、すっかりオタクになり、ガンプラメインのプロモデラーとして生計を立てるとかハッカーとして裏社会で暗躍するとかNERVかアナハイムエレクトロニクス社に就職するとか考えていた。
まだ中学生でよかった。
高校生の時に頭文字Dと湾岸ミッドナイトに出会い、クルマにどっぷり興味を持っていかれた。
ドリフトラジコンで遊んだりスーパーGTを観に行ったり通学用のマウンテンバイクをカスタムしてみたりした。
当然の流れとして、大学を卒業したら自動車メーカーに就職したいなーなんて思っていたので、理系の強い大学を選んだ。
めんどくさがりなので、地元の、それも通っていた高校のほぼ隣に位置する大学を志願した。マヂ地元LOVE。
厨二病の後遺症からか、普通なら自動車メーカー志望=機械系学科志望となるはずが、人と違うことをしようとしたのか材料系学科を選んだ。
だって、楽って聞いてたし。潰しが効くって聞いてたし。ま、その程度のキャリアプランだったわけで。
大学では自動車部に入部したが、身に入らず。もっと大学の授業って暇だって聞いてたのにとは言い訳で、とても勿体ないことをした。
人生の夏休みという言葉を鵜呑みにしすぎたようだ。
かといって真面目に勉強して成績がよかったわけでも研究室生活で多大な功績をあげたわけでもない。
深夜居酒屋バイトとか肉体労働とかキツイことはしたくなかったので、大して稼ぎもしなかった。
とにかく、できるだけ楽をしようとした結果、何にもならずに終わってしまった。
でも、塾講師のバイトだけはしっかりこなした気がしている。
多少中高生の勉強はできたというのと、人に何かを説明するのは得意だったからだろう。
人前で話すのは苦手だっただけに、これだけは少しだけがんばった。ただ、これだけ。
就活では推薦があるからと気を緩ませていただけに、第一志望の某完成車両メーカーはあっという間に落ちた。
大学で何を頑張ったか?と聞かれてもコレと言えるようなことは何もなく、付け焼き刃のようなストーリーではハが立たなかった。
特に夢も希望もなくなり、キツイとこを避けてゆるゆる働けるところでもういいやと思い、推薦枠の残りから選んだ会社に歓迎された。
なんでも、部品メーカーなので材料系専攻の人間が少なく、ぜひ欲しいと思っていたとのこと。
結果オーライ、それなりに楽しく働いている。
今でも、基本的には如何に楽するか?をモチベーションにしているので、やりたいことを仕事にしようとすると動物園のパンダのようにゴロゴロしてたらお金が入ってくるような職業に就かないといけない。
僕は水を被ってもパンダにもならないしおさげの女の子にもならないので、できることで稼いでいくしかないんだなあ。