アリスとテレスの矢

考え事が多いもので。

自分を否定できる人が一番強い

昔自分はこんな凄いことをしたんだから自分は偉い、と思っている人が世の中にはたくさんいる。それが自信になって自己肯定感を高め、本人が幸せならそれはそれでいいのだろうが、そんな人の自慢話に付き合わされたらたまったもんじゃないと若い世代は思う傾向にある。

何がありがたい話だと?今は大した仕事もしないで口うるさいだけじゃないか。大事なのは今何が出来るのか?であって、トロフィーがその人の今の価値を表しているのではないと確かに思う。

では、そういう人にはならないと間違いなく言える程の自信のある人は一体どれだけいるだろうか?過去の栄光にすがらずに今の自分をまっさらな状態で自己評価出来る人はどれだけいるだろうか?

そもそも、その人の価値基準が学歴や家系である程度定まってしまう社会において、それらの色眼鏡を取り去ってその人を見ること自体が中々容易なことでなくなってしまっている。社会がそういったフィルターをあちこちに用意しているのだから、過去の栄光というオブラートに包まれている自分を見る目ですら、そういったコンタクトレンズを通して見ることにすっかり慣れ切ってしまっており、素の自分を見る機会など無いに等しい。

そういう意味では、飲み会で散々昔話を繰り返すおじさん達の気持ちもわからなくもない。彼らはそうやってその自信をぶら下げて世の中を渡り歩いてきたのだから。

ただ、僕らも同じ轍を踏むわけにはいかない。これからの世の中というと有り体な言い方になるが、それこそ人事や転職においては今現時点での実力で評価されるようになっていく。いつまでも昔の自分には頼れないのだ。

そこで大事なことは、自分に自信を持つこと以上に、これまでの自分を否定することではなかろうか。テストで100点を取った自分、大会で優勝した自分、コンテストで最優秀賞を貰った自分、受験に成功した自分、難関企業に入社できた自分、重大ビジネスをやり遂げた自分、昇進した自分…。

成功してきた人ほど、その自信と裏腹に次失敗してはならないというある種強迫観念のようなものが見え隠れするときがある。やればやるほど、ハードルが無駄に上がりすぎるので、いつかどこかでもういいやと諦めてそこで止まってしまう場合がある。

次に進むためには、高いハードルを設定することだけではなく、ハードルをそもそも飛び越えないといけないことを忘れがちだ。

ここまで出来たのだから次はこれもできると思う自信はとても大切だろう。だがそれと同時に、ここまでやって来たからこれで終わりにしようという思いがよぎるのもまた事実。

突き進むための駆動力は、何も自己肯定感だけではない。今までの自分をまっさらにして、今この瞬間の自分は何が出来るか?と真に問うことができる人こそが最も正確に自分の次を見据えることが出来るのだと思う。