アリスとテレスの矢

考え事が多いもので。

比較の中毒

容姿端麗、頭脳明晰、親は金持ち、将来安泰。

親ガチャなんて言葉がネットニュースにもよく上がっていたりする今日この頃。

たしかに、現代に日本社会において経済格差をひっくり返すような、トンビからタカが生まれるような、つまりはアメリカンドリームな人生を歩むのは非常に難しいとされる。

だが、そのアメリカですら、いや、アメリカほど経済格差の大きい国もないのが実際で、日本などはまだマシな方だという。このあたりの事実は、何かしらの統計データを検索するかマイケル・サンデルの著書を読んで欲しい。

圧倒的ステータス差がないにせよ、人はちょっとした違いに敏感だ。小学生だって、テストの点数が1点違えば一喜一憂もするし、カッコイイ/可愛い人がいればその容姿を羨む。流行りのゲームを買って貰えない家庭の子は、常に新作を揃えている家庭の子を指をくわえて遠くから眺めているかもしれない。

人生において比較するという習性から抜け出せなくなってしまっているが故に、自分が劣っていると感じるところを自分自信が卑下してしまうことによって自己肯定感が下がってしまう。だが、この世が弱肉強食の競争社会である限りは、この比較という習性から抜け出すのはとても難しい。親ガチャという言葉自体、ガチャという確率要素から成り立っているが、比較社会へのある種諦めのような悲哀を感じる。自分の努力や選択に関係なく、否応なく人生を定められてしまう感覚が蔓延している現代社会はなんとディストピアだろうか。

自分自身、恵まれた環境に生まれた身であることにはとても感謝しているが、それにしたって上を見上げれば圧倒的にステータスもポテンシャルも高い人達がたくさんいることを実感している。さらに言えば、その上にいる人たちに聞いてもその上がいるというのだから、どんな環境や地位に置かれたとしても自分が自信を持って最上位であることを主張できることはないのかもしれない。

ナンバーワンよりオンリーワンと歌われるのも無理はない。比較することに疲れている。人の心が社会からの離脱を試みている。故に、個性が大事と民衆の代表は謳い、マイノリティな在り方を許容するように半ば強要しかける。例外をマジョリティ化することで、社会構造への反抗の流れを生み出す。誰かと比較することも無く、あるがままでそこに在るということ、それ自体に問題は無いように思われる。

だが、こういった流れによって成り立ち始めた"多様な生き方のできる社会"において、あるがままの自分もしくは自分の考え方を他人に許容することを強要することはあってはならないと思う。例えば、「現代社会では家事は夫婦で分担するもの」という考え方の人がいたとしても、その人はその価値観を他人夫婦に押し付けてはならないし、ましてや社会通念とすべきでも無い。「家事は女性がするもの」という昭和的な考え方がの人いたとして、それをこき下ろしてもならない。なぜなら、多様性を認める社会というのは、旧来的な価値観も含めてあらゆる生き方が"別にそれでもいいよね"と許容できるだけの包容力を持たせた社会の形であり、"そうあるべき"と押し付ける義務的な社会の形ではないはずだからだ。

そのような形で、マイノリティな在り方を許容するように強要するケースというのがあらゆるところでよく見られるように思う。新たな価値観を押し付けて従来の価値観をすり潰すかのような暴力的な反抗を行う者が。

彼らの駆動力は一体なんだろうか?思うに、比較という社会構造と人々の習性によって虐げられてきた長い積み重ねによる膨大な負のエネルギーではないだろうか。なにも個人的な恨みだけではない。比較の天秤に載せられた敗者の歴史に同調する人々が数多くいるのも間違いない。

反抗する者は一部だとしても、多くの人々が比較することに疲弊しきっているのは確かだし、その一方で比較することから抜けられない人が大勢いるのも確かだ。Facebookを見ると幸福度が下がるなどという研究結果があった。他人のキラキラした人生と自分とを比べてしまうが故だという。そうはわかっていても人々はSNSを見るのを止められないし、映えを求めてスポットに殺到する。

幸せってなんだっけなんだっけ。少なくともその場の一部を切り取った比較から生まれる充足感は一時的なものであり、長くは自分の中に残ってはくれない。誰かと比べることが悪いのではない。高い目標を目指して努力する人生の糧となるならば比較もまた良薬となるだろうし、独善的にならないためにも人との冷静な比較は必須栄養素のようなものだ。大切なのは、必要最低限に済ませるということ。あらゆる事を比較していては常に劣等感を感じながら生きていかねばならず、塩っぱい人生になってしまう。高血圧で頭に血が上ってカッカ反抗するのもまた見苦しい。素のままの、素材のままの自分をじっくり味わうところから始めるのが良いだろう。誰と比べるでもなく、自分は何ができて何が好きなのか?できないことは?嫌いなことは?よく噛んでみると誰にだってその人の味があるはずだ。かける醤油は程々に。しょうゆうこと。