アリスとテレスの矢

考え事が多いもので。

エヴァの呪縛からの解放。東日本大震災後10年の節目に寄せて。副題「コロナ禍を生きる。」

【警告】ネタバレを含むので、まだ観ていない人は早く観てね♪

【警告】感想と感慨深さと色々がオタク特有の早口言葉で語られているだけです。文章としてこれといった捻りはありません。

【警告】途中、泣きながら書いています。

【警告】ポジティブ解釈多めです。

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を公開初日に観てきました。

前作のQから9年。新劇場版開始からは14年、TV放送版からは実に25年。

日本のアニメや漫画には長く愛される国民的作品がいくつもありますが、新作の間隔がこれほど長いものもそう多くはないでしょう。

 

僕はちょうどシンジ君らと同じ14歳、中二の頃にアニメと漫画を見てどハマりし、

新劇場版をリアルタイムで映画館で観てきた世代となります。

それが今やミサトさんや加治さんらとほぼ同じ年齢にまでなってしまい、

中二の少年はサラリーマンになってしまいました。

 

さて、シンエヴァの内容そのものはというと、これ以上なくとても面白く、よくまとめたなという印象です。

観ている最中は情報量の多さに頭をフル回転させていましたが、後になってシーンを思い出すと込み上げるものがあります。

庵野監督、本当に素晴らしい作品をありがとうございます。

まだ1回しか観ていないので細かいところは解釈が追いついていないにせよ、過去作などでもこれまで言及されていなかった内容に対し

だいぶ説明がされていましたし、話の流れも明快でとてもわかりやすかったのではないかと思います。

 

デュフデュフと色々と語りたいところはあるのですが、僕が(おそらく多くの人が)シンエヴァを観て最も強く受けたメッセージは

 

「希望」です。

 

例えばAパートの第3村は震災直後の東北沿岸地域を彷彿とさせますし、そういった中でも手を取り合えば人々は強く生きていけるという

Qの陰鬱とした雰囲気とはまるで正反対の情景が映し出されます。震災経験者としては、このパートは明るい雰囲気ですが後から思い出すと泣けます。

庵野監督は鶴巻さんや摩砂雪さんらに被災地に無理やり連れて行かれたそうですが、その時の経験が以降の作品に反映されているのでしょう。

シンゴジラ東日本大震災そのものなこともありますが、やはり庵野監督が相当に影響を受け、エンターテイメントを作る側として

世の人にこういった絶望の中にも生きる術や未来はあるのだということを知っておいてほしいという願いが感じられます。

ただし、そんな中でも、今時の若者風に描かれているキャラであるミドリの後半パートにおける「明日生きることだけ考えよう」というセリフには

重みを感じざるを得ません。

現実に全員が明るい未来を描いて生きていけるわけではなく、特に震災直後においては明日どころか今日生きていくことさえ

精一杯な人がたくさんいたわけです。コロナ禍の今でも、職を失い成す術のない人がたくさんいます。

そういった現実を若者代表のようなミドリが代弁していると思うと、良いことばかりの提示ではいけないことを示しているような気がします。

 

また、過去との訣別が直接的または隠喩的に描かれており、前に進んでいく意思を感じました。

最後にシンジ君は全てのエヴァンゲリオンを消し去るわけですが、エヴァンゲリオンという作品をこれで終わらせるという

庵野監督の意向もオーバーラップするわけです。25年も関わったアニメ作品をここで終わりにする、庵野エヴァ という評価を区切り、

新たにやりたいことをやるという意向もあるでしょう。

過去との訣別は容易なものではありません。昔はこれができた、あの人が生きていた、あの街並みが懐かしい、あの世間の雰囲気は…

震災もそうですが、奇しくもコロナ禍についても同じことが言えるのでは。

「あの頃」を思い出すようになると人は老いるといいます。

一変してしまった世界や人を元に戻そうと嘆くのではなく、自らを順応させたり新たな仕組みを作ったり、

そういった柔軟性や創造性が問われているのではないかと。

エヴァ新劇場版自体、従来のアニメーション映画とはかなり異なる製作方法がとられています。

音声、作画、コマ割り、果ては構想まで、通常では考えられないような手法で。

アフターコロナがどのような世界になるかは誰にも予測がつきませんが、「古き良き時代」に固執しないことが必要という主張を

作品つくりを通して訴えているようにも思えます。

 

少し話はそれますが、シンエヴァの中でその行動と目的についてものすごく魅力的に見えたのが、加治さんです。

サードインパクトを止めるために犠牲になったということもありますが、植物種の保存のために

インパクトの影響を逃れられるような惑星間航行船(ヴンダー)を建造し運用する手筈であったと。

形容が難しいですが、人間のエゴに囚われない科学者のようで実にカッコよく映ります。

TV版旧劇場版の二重スパイのニヒルな役とは異なり、明確な目的を持っているキャラクターとして描かれていることに

感動すら覚えます。

 

それから、いろんなキャラ同士がくっついていたり夫婦になっていたり子供が生まれていたりと、未来が紡がれていくメタファーとして

人の繋がりが描かれていたのが特徴的です。

結局のところエヴァは、ゲンドウが一度失ったユイさんにまた逢って一緒にいたいだけの話(とかいったら怒られそう)なので、

ある意味ラブストーリーなわけです。

それもあってか、シンエヴァでは初めてハッキリとアスカはシンジが好きだったと言ってますし、

アヤナミレイ(仮称)も短期間で好きという感情を覚えましたし(シンジくんを好きになるようプログラムされているとは言っていたが…)

好きの関係図が割と明確です。

トウジと委員長は納得ですし、ミサトさんに加治さんとの子供ができていたと思うとQのセリフや行動の数々を見直さなければという具合で、

アスカがケンスケをケンケンと呼んでいるのがまた可愛い。ケンスケは大人になって加治さんに似ましたね。サバイバルオタクが役に立ったと

トウジも言っていますが、ああいう逞しさがアスカには魅了的に映るのでしょう。DIYできる男がモテる時代です。

ラストシーンでシンジとマリがくっついている様子なのは賛否両論あるのでしょうが、

シンジ君が庵野監督でマリが監督の奥さんの安野モヨコであることを考慮すると納得な上、

エヴァを終わらせるためには初期から出ている綾波やアスカではダメで、破で新しく登場したマリではないといけないのでしょう。

過去には綾波派とアスカ派が二大派閥としてやんややんやと盛り上がっていたわけですが、そういった昔の流行りやこだわりを

横槍を突くように出てきた新キャラがシンジとくっつくことでぶっ壊し、古参オタクよ目を覚ませという目的もありそうです。

ちなみに、僕は破以前は綾波が好きでしたが、破以降はマリが好きなので主観的にも今回の締めくくりはとても好きです。

シンジ君も言うように、乳のデカい良い女、中身はおっさん、にゃにゃにゃにゃにゃ。堪らん。

 

閑話休題

 

人の繋がりというのはATフィールドの概念からしエヴァの根幹を成す設定なのでしょう。

他人と関わるか否か云々というのが旧劇場版のメッセージでしたが、新劇場版ではそれは前提であり

どう関わるか?それによってどういう選択をするか?ということが問われています。

エヴァのない世界を望み、自らの意思で全てを壊し作り替えていく。ヴィレの人たちがガイウスの槍を作った時は鳥肌が立ちました。

人の手によってまだまだ世界は変えられる。より良くしていける。一人ではできないけれど、みんなで力を合わせれば。

そんな一見子供じみたメッセージですが、普遍的であり、特に今の世の中における最も重要なことではないかと思いました。

シンゴジラでも日本人はまだまだやれると主張していますし、決して楽観的にまあ深く考えなくてもなんとかなると考えているのではなく、

我々の持つ知恵と繋がりと思いやりと温かみ(綾波の言うポカポカするってこれを暗示していると思います)を総動員すれば、

圧倒的な物質量や高効率なシステムで攻めてくる使徒のような政治経済国家世界情勢にも勝ることができると言いたいのではないでしょうか。

個人としてみた時にも、一人で生きてこうとする人にはこの先はより厳しい世界となっていくことが予想され、

誰かに頼り誰かに頼られ、目に見えない穏やかな春の陽気のような信頼関係が人生を形作っていくことを示しているに違いありません。

 

庵野監督自身、新劇場版以前にご結婚なされています。そのことが新劇場版の内容に大きく影響したと考えて良いはずです。

もちろん旧劇場版後新劇場版以前あるいは製作途中には世間を揺るがすさまざまな出来事が起こっています。

しかし、作品の結末だったりメインテーマは監督自身に関わることから発生しているはずなので、やはり人間関係に着地するのではと。

ラストシーンにかけてシンジ君とマリがくっつき、最後の最後でシンジ君はマリの手を引いて「行こう!」と走り出します。

庵野監督が奥さんとともに新しい作品作りに邁進するという解釈も容易にできます。

しかし、シンジ君としてみれば、これまで自分の意思で物事を決めることができなかった、それによってアスカはシンジ君を殴ろうとまでした、

それが自分から大事な人を連れてどこかへ走り出す。それも電車を待って乗るのではなく駅構内から飛び出して外へと。

これを希望に満ち溢れた若者がまだ見ぬ未来に向かって突き進む姿ととらえずしてなんでしょうか。

 

とにかくこのラストシーン、とっても好きです。シンジ君の声がまさかの神木隆之介に変わっているのも、もう昔のシンジ君ではなく

声変わりもして成長した大人の姿なんだと。

この辺の素晴らしさは言葉では良い表せません。希望に満ち満ちたとても前向きな作品として完成したと思います。

 

さて…。言いたいこと全てを書き切ることはできませんね。きっとエヴァのなんとなく全てをしっかり語らないところも

そういうことなんだと思います。言葉とは有限なものです。

 

庵野監督、エヴァンゲリオンに関わった方たち、素晴らしい作品をありがとうございました。

我々若い世代がやらねばならないのですね、NEON  GENESIS

 

そして最後に、

 

おやすみ

おはよう

ありがとう

さようなら、全てのエヴァンゲリオン